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รายละเอียดคำ

杵屋五三郎 (3代目)

1960年(昭和35年) - 芸術祭賞奨励賞 1973年(昭和48年) - 芸術祭賞大賞 1976年(昭和51年) - 芸術祭賞優秀賞 1985年(昭和60年) - 松尾芸能賞 1986年(昭和61年) - モービル音楽賞 1992年(平成4年) - 日本芸術院賞 1985年(昭和60年) - 紫綬褒章

คำที่เกี่ยวข้อง

杵屋勝五郎

術大学)卒業。父の5代目勝五郎や和歌山富十郎、4代目杵屋勝太郎、4代目杵屋佐吉に師事し1950年5代目勝五郎没後間もなく6代目勝五郎を襲名。「権八草子」「小夜千鳥」等作曲多数あり。伊藤鴎二の勝五郎評「玉をころがすような嫣然とした麗声で強い所も弱い所も巧に演奏しその上研究が充実している」。 表示 編集

杵屋勘五郎

れており、17世紀前半に上方から江戸に下り兄の脇師を勤める傍ら『猿若舞』の振付けをするなど『猿若』狂言で活躍した。 (元和5年(1619年)? - 元禄12年10月21日(1699年12月11日)) 2代目杵屋六左衛門の実子。別名、初代杵屋喜三郎。狂言師から転身。 数曲の作曲を残す。 (文化12年(1815年)

杵屋喜三郎

きさぶろう)は、長唄の三味線方、唄方の名跡。 近世初期以来のもので、杵屋六左衛門と並んで長唄宗家の名で、双方をともに代数に数える。喜三郎は六左衛門、杵屋勘五郎の前名であることが多い。元禄15年(1702年)の江戸劇場番付に名は見えるが、6代までは不明の点が多い。 後の2代目杵屋勘五郎。 後の4代目杵屋六左衛門。

杵屋勝三郎

目襲名。日本橋馬喰町に住んでいてそこに馬場があったことと三味線と作曲の腕がまるで鬼神のようだったことから「馬場の鬼勝」と渾名(あだな)された。顔にあばたもあった。11代目杵屋六左衛門、3代目杵屋正次郎とともに作曲の三傑と言われた。俳号を東成。大薩摩初音太夫。

杵屋六三郎

墓所は静岡駿河町感応寺。戒名は「好音院六翁日遊居士」。大薩摩名 大薩摩浄一。 伝承されている曲⇒島台(蓬莱の)。祝いの島台。木下蔭【明治7年10月守田座上演の際7代目作の曲を8代目が改訂したと伝えられている。8代目作曲とする本もある】。 (天保12年(1841年) - 明治39年(1906年)1月16日)

坂東三津五郎 (3代目)

のなんてぇのは誰にだって出来やがる。張り子の茶碗を瀬戸物に見せるところが役者の腕ってもんだろうが。ようやく瀬戸物らしく見えるようになってきたところに、てめえ余計なお世話だ」と食って掛かった逸話が残っている。 伊原敏郎 『近世日本演劇史』 早稲田大学出版部、1913年 ※国立国会図書館デジタルコレク

關三十郎 (3代目)

さんじゅうろう、文化2年〈1805年〉 - 明治3年12月18日〈1871年2月7日〉)とは、幕末期の歌舞伎役者。屋号は立花屋・尾張屋、俳名中車・黄雀・歌山。 江戸の生まれで振付師三代目藤間勘兵衛の子。はじめ七代目市川團十郎の門下となり市川團吉と名乗り、のちに旅回りに出て市川伊達十郎と改名した。文

尾上菊五郎 (3代目)

をやったり、吹き替えのお岩をつとめる弟子に「お岩の死体だって恨みがこもっているんだから、ただ寝ているだけじゃあいけねえ。こぶしを握るとか足を曲げるとか工夫をしろ」と助言するなどの逸話が残っている。菊五郎家の十八番となった怪談物をつとめる第一人者として、「お化けをやる時は気楽に、幽霊をやる時は気を重くする」という言葉も残している。

中村又五郎 (3代目)

2011年(平成23年)9月 新橋演舞場『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」の武部源蔵、「車引」の梅王丸、『沓手鳥孤城落月』の豊臣秀頼で三代目中村又五郎を襲名。 2012年(平成24年)3月 『菅原伝授手習鑑』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。 2014年(平成26年)11月 紫綬褒章受章。

阪東壽三郎 (3代目)

阪東 壽三郞(さんだいめ ばんどう じゅうざぶろう、ばんどう じゅさぶろう、新字体:寿三郎、1886年(明治19年)12月10日 - 1954年(昭和29年)9月24日)は、大阪の歌舞伎役者。屋号は豐田屋。俳名に菊翠。本名は阪東 與三郞(ばんどう よさぶろう、新字体:与三郎)。妻のあい子は、伊藤為吉

貴音三郎助 (3代目)

「第一回宮田哲男の会」を開催。 1997年 - 「芸道50周年記念演奏会」を開催。 2009年 - 三代目貴音三郎助を襲名。 生来の美声と円熟味のある芸で、当代の第一人者と謳われる。クラウンレコードから数多くの録音も残している。 また、NHKサービスセンターより NHKCD 杵屋五三郎・宮田哲男大全集「長唄の美学」全三集153曲 を収録、発表した。

市川笑三郎 (3代目)

京都南座 顔見世(襲名披露興行)「厳島招檜扇」佛御前実は九重姫。 2014年 6月 公文協中央コース松竹大歌舞伎「太閤三番叟」振付。 7月 歌舞伎座 七月大歌舞伎「正札附根元草摺」小林妹舞鶴。「修禅寺物語」姉娘 桂。 9月 中津川ふるさと応援隊員に登録。 11月 明治座 花形歌舞伎「四天王楓江戸粧」和泉式部。 2015年

尾上鯉三郎 (3代目)

苦みばしった容貌と独特の愛嬌とが微妙にあいまった絶妙さで、随一と評された。 尾上菊十郎は源六の上手さについて「写実に徹していました。・・・おかるの駕籠が行ったあと、おー、まだ乗せるものがあるんだよ。と、煙草盆を目の前にかざして慌ててそれを返しに行った

坂東彦三郎 (3代目)

江戸・京都・大坂の三都で人気を博し、当たり役が『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助と『菅原伝授手習鑑』の菅丞相だったので、文化8年7月(1811)に江戸の舞台を退く際にも中村座で両役を演じた。「一世一代」として文化10年(1813)に大坂で『菅原伝授手習鑑』の菅丞相と武部源蔵を勤め、京都で『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助を演じて完全

三枡大五郎 (4代目)

大坂の生まれ。父は三代目三桝大五郎。三桝亀由の名で子役の芝居に出演し座頭となる。文化4年 (1807) 道頓堀若太夫芝居の太夫元となり将来の芝居を担うエリートとして期待される。同文化12年11月(1815年11月)には「太平記忠臣講釈」で三代目三桝他人を襲名。文政3年1

桂文三 (3代目)

年、桂派に復帰するも長続きせず、1910年(明治43年)8月、三友派に移籍するなど、落ち着きがなかった。 1914年(大正3年)ころには脊髄癆を病み、両眼失明の憂き目に遭う。晩年には法善寺紅梅亭席主・原田政吉の自宅へ引き取られ、世話を受けていた。1917年(大正6年)、師の一周忌法要を施主として勤

杵屋勝太郎

東京神田の生まれ、3代目勝太郎、3代目杵屋勝三郎に師事し勝吉を名乗る。1911年に4代目勝太郎を襲名。劇場での長唄をやっていたが個人の独演会に専念。主な作曲に「井筒業平」「風流陣」「可祝の柳」「新七福神」等がある。 1923年に関東大震災では大阪に移住、その後戦中、戦後と大阪で活躍した。 主な受賞に勲五等双光旭日章など。関西長唄協会会長、長唄協会顧問等を務めた。

杵屋勝四郎

(1959年1月3日 - )本名は村治崇光。財団法人杵勝会理事。 1959年(昭和34年) - 東京都港区青山に長唄三味線方だった杵屋和四蔵の長男として生まれる。 1963年 - 杵屋和四蔵に入門。 1965年 - 杵屋勝国に師事。 1974年 - 重要無形文化財保持者 東音宮田哲男に師事。 1980年 - 杵屋崇光を襲名。

杵屋正次郎

江戸浅草奥山の的屋、道端や境内などで独楽廻しの松井源水の伴奏として演奏していたのを見出され、2代目杵屋六三郎の門人になった。芝居で初めて名を見るのは1768年の森田座顔見世番附。1775年冬に立三味線となる。俳号を林鷲という。 「仲蔵狂乱」など多くの作曲を残す。 伝承されている曲⇒色見草月盃(物思うの紅葉狩)、仲藏狂乱、羽